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  10 ,2017

団塊世代・あらいぐまの自転車日本一周挑戦記


プロフィール

あらいぐま

Author:あらいぐま
団塊あらいぐまの自転車日本一周挑戦記。ただ今、世界へも足を伸ばし中。

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Category: 東北東海岸PartⅠ '12.9.25~

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0930 被災地で聴いた「上を向いて歩こう!」
(この記述はあらいぐまの別ブログ「Go!Go!あらいぐま。」にも掲載し
ています。前半部分は重複がありますがご容赦ください)

 1週間の休みが取れたので、愛車を担いで24日の夜行バスで盛岡へ発ち、八
戸市、久慈市、野田村、普代村、北山崎、旧田老町、宮古市などを経て陸前高
田市を目指しました。そこでは老舗の菓子店を営んでいた友人が被災し、ファ
ンドという武器を得て今年5月、仮店舗での営業を再開しています。そんな彼
の笑顔を見たくて走りました。陸前高田市には28日の午後に着きましたが、同
じ日の夕方、埼玉県から共通の友人も到着し、3人は久しぶりの再会を喜び合
いジョッキを傾けつつ語り合いました。奇跡と称された一本松も今はなく、津
波に破壊された街には草が生い茂っていましたが、友人の店舗をはじめとし、
意欲ある人々は再建へ確かに歩み始めていることが分かり、少し安心するとと
もに、私にこれからどんなことができるのだろうと考えています。

 そして29日。友人と気仙沼市や南三陸町を視察しようとしている日の朝、N
HK「梅ちゃん先生」の最終回の放映がありました。最終週を見られないので
録画予約はしてきましたが、やはりLIVEで見たい!そう考えて出発を遅ら
せテレビに見入りました。そして、流れてきたのが「上を向いて歩こう!」で
した(皆さんもご覧になったと思います)。巧妙な画面合成により、白黒テレ
ビの中で歌うお父さんは新しい自分に変わるためにこの唄を歌い、遂に笑顔を
見せたお父さんに合わせて家族もこの唄を歌いました。きっと、テレビの前の
皆さんも一緒に歌ったことでしょう。もちろん私も歌いました。

 そしてそして、お父さんが一生懸命歌うこの唄は、被災地にとても響きまし
た。東海岸で見たいくつもの光景とそこで立ち上がった人々の、もちろん私の
友人の、前を向く姿が目に浮かび、思わず目頭が熱くなりました。そして、
「頑張っていれば神様はきっとご褒美をくれる」「なんとかなるわよ」そんな
梅ちゃん先生の言葉も思い出されました。あの唄はきっと、被災地の全ての人
々の胸に小さな火を灯してくれたと思います。

 その後、被災各地で見た光景は想像を絶するものでした。復興計画もなかな
かまとまらず、意欲はあっても動きようがないという人も多いとも聞きました。
しかし、南三陸町には商店街ができ、陸前高田の居酒屋では熱い論議を交わす
若者がおり、沢山の希望を見ることもできました。もう一度、「上を向いて歩
こう!」と声高らかに歌いながらエールを送りたいと思います。頑張れ!被災
地の松子と竹夫と梅子たち!
※今は草が茂るだけ・・・(陸前高田市)
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※枯れてしまった松が1本残り、海岸だったことを伝えている(陸前高田市)
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※ここは海ではない。住宅街だった(気仙沼市)
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※何もない・・・(南三陸町)
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※ここであの人は「避難して!」と叫び続けた・・・(南三陸町)
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※1807年創業の醤油製造業者は10月1日、新店舗をオープンさせる(陸前高田市)
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0929 被災地へ
今日は友人の車で、陸前高田、気仙沼、南三陸町を回りました。ここ2,3日の見聞で被災地
での所作には慣れたと思っていましたが、目にする状景の余りの凄さに、再度、言葉を失いま
した。南三陸町では「さんさん市場」もオープンし、復興への足取りは進んでいると思いまし
たが、ここに写真を紹介し、文章を書く気力がありません。少し整理をしてからアップしたい
と思います。
これから現地の友人と帰郷することに決めたその息子さんと食事です。前向きに話しをしてき
たいと思います。

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0928 レンタカーでちゃっかりと・・・
台風18号の余波で夜半から雨。ときおり土砂降り、ときおり小雨。しかし、止むことはない
気配なので今日はレンタカーを借り、自転車を積み込んで本来の目的地である陸前高田まで
移動することにした。昨日、駅の観光案内所で入手しておいたパンフを手に電話してみると
ちょうど良いサイズの車が空いていたので即予約。自転車を宿に置いたままタクシーでレン
タカー会社へ。タクシー代は会社負担だった。

真新しいノアを駆って宿へ戻り、自転車を積み込んで出発。陸前高田までは約140キロだが、
途中には山田町、大槌町、釜石市、大船渡市という被災地があり、可能な限りは見学しよう
という算段。傘もなく(コンビニで買えば良いのに・・・)、雨に濡れながら大忙しの見学
だったが惨状は容易に理解できた。
※こんな堤防を破壊して津波が襲う(山田町)
DSCN5435.jpg
※破壊された箇所から津波は流れ込む(山田町)
DSCN5438.jpg
※大槌病院はまだ放置されたままだ(大槌市)
DSCN5448.jpg
※形骸となった大槌市役所。近くに移転していた(大槌市)
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どの被災地でも同様だが、頑丈な堤防や防波堤が破壊されているのには驚く。建設者にとっ
てまさに”想定外”だったのだろう。10メートルにも達するコンクリートの塊が壊され、流さ
れることから津波の威力を推し量るしかない。後に、陸前高田の友人から「津波発生装置で
実験したが、30センチの津波でもう立ってはいられない」そうだ。

午後1時過ぎ、陸前高田に着き、友人の仮店舗を訪ねた。小さなSC(は大袈裟か)と言った
趣の木造の仮店舗の一角に友人の店はあった。真っ赤なドアに意気込みが感じられる。お客
さまも数人。贈り物を求めに来たお客さまもおり、地域の方々から愛されている店というこ
とも分かった。自慢の「夢の樹バウム」という凝ったバウムクーヘンを食べてみたが実に美
味かった。明日は土産にしよう。そして「夢の樹」よ、大きく育て!
※友人の仮店舗。奥が工場だが狭くて品揃えがままならないのが悔しいという。
DSCN5465.jpg
※絶品!夢の樹バウムの最終仕上げ行程。
DSCN5467.jpg

そして今日の宿はというとドライブスクールの宿舎。短期集中合宿の生徒が不在の時期、宿
泊施設として利用できるのだという。食事はなく、門限ありという環境だが、被災地で文句
を言ったら罰が当たる。お金は居酒屋に落としていけばいい。それが小さな復興の手助けに
なるのだから・・・。

5時を回った。間もなくもうひとりの友人が埼玉県から到着する。シャワーを浴びたら3人で
会食する予定だ。高台への移住が決定した陸前高田の友人は今、どんな街にするのかで頭を
悩ませているらしい。大きな夢が聴けることを願っている。

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0927 幸運に恵まれて・・・
5:30起床。もちろんすぐに外を見る。晴れ間もあるが雲多し。空模様に注意しながらの
走りを強いられることを覚悟して6:45、宿を出る。お願いしたら女将さんは6:20に朝食
を用意してくれた。ありがったかった。

まず、45号線を走れば隣が普代村だ。現役時代、岩手県の仕事をしたことがあり、その一
環で、普代村のこども神楽が銀座で神楽を披露した時、担当したのが私だった。早朝に村
を出、いくつもの交通機関を乗り継いで上京したこども達は、神楽の衣装に着替えるや別
人の趣となり、素晴らしい演技を披露してくれた。わかめが名産だということもこの時に
知った。そのこども達の村はどうなっているのか?気になって走った。そして知った。漁
港は打撃を受けたが村人は高台に住んでいるので無事だったと。港も復興がすすみ、漁も
再開されている・・・と。45号線脇にあった展望台からは、何事もなかったかのような平
穏な太平洋が見えた。
※普代村の展望台から太平洋を望む。
DSCN5376.jpg
そして次の目的地は北山崎である。かって、ある友人は北山崎を訪れた際、濃霧で2日間
の滞在を余儀なくされたと言っていた。その絶壁とはどんなものなのか?これが今回の旅
の最大の目的地と言ってよい。その北山崎へは普代村で45号線と別れ44号線に入る。する
と、道路はきつい、きつい!何度も何度も、降りて、歩く。自転車を押し上げる。BGM
は「押した、押した、こらえきれずに、押したった!」そう、「別れの一本杉」と「押し
て、押しいて、押して歩いてまた押して!」これは三橋三智也の「哀愁列車」だと思う。
こんなメロディーが出てくるのは、これらの曲が私のDNAに刷り込まれているからだろ
う。とんだところで、自分再発見!

さて、なんとかたどり着いた北山崎の素晴らしさは実は予想外だった。自然探索路も整備
されているようなので、もっとじっくりと見なければいけないのかも知れない。
※林立する岩の柱。やはり異様な光景だ。
DSCN5386.jpg

北山崎を過ぎ、変わらず44号線を走る。散見する断崖は見事。しかし、基本的には山の中。
ある老夫婦は熊よけの鈴を鳴らしながら歩いていたが、これにはビビッた。こんなところ
で熊になど会いたくない。島の越辺りではJRのトンネルを繋いでいた鉄橋が破壊され、修
復工事が進んでいるのを見た。海辺ではリゾートホテルらしき大型の建物が建築中だった。
復興へ向けて槌音は高いと感じられて嬉しかった。
※復旧工事が進むJRのトンネル付近。
DSCN5394.jpg
ところで、今日は少なくとも宮古まで。できれば山田町まで走りたい。そのために決めた方
針は、こまめに食事を取り、長い休憩は取らないで走り継ぐということだった。だから2時
間毎にミニ食事タイム。この作戦はうまくいったと思う。
そしてずっと心配していたのが天候だった。10時過ぎまで晴れたり曇ったりが繰り返され
ていたが、小本を過ぎた辺りでとうとう雨になった。急いで屋根の下に逃げ込み、小用を
済ませ、雨具を・・・と準備している間に、雨は上がった。ラッキー!と薄手のウインド
ブレーカだけを羽織って走り出す。そしてその後、降雨の形跡が残る道路を走ることはあっ
たが、宮古まで、一度も降られることはなかった。田老では薄日さえ差した。これを幸運と
言わずして何と言おう。

田老に着いた。草が生い茂り、一見、のどかな光景が広がっている。そんな気分を一転さ
せるのが壊れたまま残されている田老観光ホテルの惨状だ。2階部分までは鉄骨の骨組み
だけが残され、土台だけが残された民家の跡とともに津波の凄さを物語っている。そして
そのパワーのすさまじさを語っているのが無惨に破壊された万里の長城のようなX字型の
巨大防波堤だ。不滅と思われたそれが無惨に破壊され、津波は町を一網打尽にした。新し
い船の手入れをしているらしい初老の男性に話しかけてみた。
「津波はこの堤防を破壊して襲ってきたのですね。あなたの家はどうだったのですか?」
恐る恐る話しかけた私に彼はにこやかに答えてくれた。
「いやー、凄かったね~!堤防のこちら側の家などは全て海に持って行かれたよ」
「あなたの家も?」
「私の家はあの沢を登ったところにあって、避難場所でもあったんだが、一切流されて
しまったんだよ。避難場所だったんだよ」
「ご家族はご無事だったのですか?」
「いや、家内と孫は、まだ、見つからない」そう語った時、彼は一瞬涙ぐんだ。私は言
葉を失った。すると彼は悲しいことを語ってゴメンというように言葉を繋いだ。
「今は仮設住宅に一人で住んでいる。息子や娘が『一緒に住もう』と言ってくれるんだ
が、同居を始めて家族関係が壊れてしまった例を幾つも聞いている。私も難しいと思う。
だから寂しいけど一人で住んでいる。最近、野菜作りを始めたよ。経済的には買ってき
たほうがいいんだけど、時間つぶしになるし、どう面倒見ようかと考えるし、採れた野
菜を近所に配って知り合いもできたし、よかったと思っている」
長くなると迷惑と思い私は謝辞を述べて去ろうとした。それを見て彼は言った。
「今日は話しかけてくれてありがとう!一人暮らしだと喋らないのさ。1日に、仏壇へ
むかっての「おはよう」と「ただいま」、自分に向かって「いただきます」と「ごちそ
うさま」そして「おやすみ」それだけしか喋らない日もあるんだよ。今日は1ヵ月分く
らい喋った。ありがとう!」
※万里の長城のような堤防も壊れた。
DSCN5418.jpg
※堤防を乗り越え、津波は全てを押し流した。
DSCN5415.jpg
※草が生い茂る中、壊れたままのホテルが災害を伝える。
DSCN5401.jpg

そして目的地宮古へ愛車を走らせた。山を下ると港が見える。そしてそここそ、堤防を
乗り越えた津波が襲った地域だった。市役所も2階までは浸水した。が、そこから津波
来襲の様子を捉えた写真が広報みやこに掲載されていた。それによれば、やってきた津
波は一度は海へ戻り、その時、いつもは見えない川底が見えたという。そしてやってき
た第二波は楽々と堤防を乗り越え、船や車を市街地まで運び、多くの家屋に侵入した。
私が今夜の宿としたこの旅館も床上浸水を避けられなかったという。
※津波は船舶が係留されている側の堤防だけを乗り越えたと言う(写真左側)。
DSCN5428.jpg
※津波の痕跡は今も残っている。
DSCN5424.jpg

被災に差はないが、今日見聞したエリアはまだましな地域なのだと思う。田老では住宅
をどこに建設するのか二転三転してまだ決まっていないという。この点はきっとどこも
同じだ。しかし、人々は前を向いて歩き始めていると感じた。忘れたいという気分もあ
るとは思うが、止まってはいられないという時期に来ているのではないか?そう感じた
1日だった。明日は雨の予報だ。どうしようか?悩むを楽しんでいる。
本日の走行距離 88.84キロ
走行時間 6時間16分
平均速度 14.0キロ(さすがに遅い!)最高速度45.0キロ

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0926 行く手を満室に遮られ・・・
やはり虹は吉兆だった。起床すれば外は快晴!6:30に朝食。いよいよ東海岸走行の始まりだ。
7:20出発。まず八戸漁港へ向かう。昨年8月5日に八戸を訪れた際に見た惨状はどうなってい
るのか?確認するためだ。幸い、同じ電柱が残されていたので前回と同じ場所に立てた。古い
(地元の人の話)屋根は撤去され、今は大型船が接岸する岸壁になっていた。市場機能は果た
せていないと思うが、復興へ進んでいるなとは思えた。
※(番外編)市内で捨て猫の赤ちゃんを見かけた。目が会ってしまったので無視できず、
クリーム入りのパンを半分あげたらむしゃぶりついていた。頑張れよ!
DSCN5305.jpg

※屋根が取り払われた八戸第三漁港。
DSCN5311.jpg
※これが昨年8月の様子。
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※観光案内所はトイレに。
DSCN5315.jpg
※これは昨年8月の様子。
DSCN0695.jpg
少し進むと廃墟となった観光案内所があった。が、現在それは撤去され、大きなトイレに変わ
っていた。やはりあのままでは印象が悪いし、まずは正解な対応だろう。道路の反対側の建物
は修復されて仮の観光案内所となっていた。ここから海をみていると案内書のスタッフである
初老の男性が話しかけてきた。「津波の写真があるので見ませんか?」断る理由はないので見
せていただいたが、想像を超える高さ、凄さだった。しかし、驚いたのは写真だけでなかった。
「実は200メートルほどの深海から獲るタラが放射能汚染されていて廃棄処分なのです。これ
から秋タラの最盛期なのだが心配です。また、津波で岩が洗われて綺麗になってしまった。そ
のために昆布は育たないし、魚もいなくなっているんです。東電に補償を要求していますが、
よい返事は貰えていないようですよ」見える部分の復興は進んでいるが、深い部分ではまだま
だ問題は山積していると思った。
※仮の観光案内所には到達した津波の高さを表示するブルーのペイントがあった。
1.5mくらいに見えるが海抜は7~8メートルだという。
DSCN5319.jpg
次いで昨日の目的地であった種差海岸へ向かう。高台を走る道路に変化はなく、海岸も何事も
なかったかのように静かだった。そして、ここを過ぎると初めてのコースになる。緊張しなが
ら走るが、災害の痕跡はほとんどない。高台と海沿いとで被害に雲泥の差があるのだと分かっ
た。そこで、基幹道路である45号線をなるべく離れ、海沿いの道を選んでみる。するとやはり
被害があったことがわかった。

昆布を干していたある老婆は船が流されたが再建は諦めたと言っていた。
散歩中の老人の家はちょっとした高台だが、1メートルほど浸水し危なかったと言った。この
老人の家は浜に近く、JRの線路は流されたが、今は整備され、運行も再開されて嬉しいとも
言っていた。

邪魔にならぬよう、物見遊山と思われぬよう注意しながらなるべく沢山の人に話しを聴きつつ
自転車を走らせ、12時過ぎ、久慈市に着いた。その直前、高台から久慈港が見えた。後で分か
ったが国家石油備蓄基地だったが、海辺に近いのにすでに再建築工事が進んでいた。その近さ
で本当に大丈夫なのか?
※種市あたり。津波さえなければのどかな牧歌的な風景が広がる。
DSCN5330.jpg

道の駅くじで昼食を取りつつ、今日の宿を探したのだが、ここで問題が起きた。行けるだろう
と思われた田野畑村の宿が全て満室なのだ。「復興工事の関係者ですか?」と訊くと「いや、
観光のお客さんもいますよ」とのこと。道の駅には久慈市の観光案内所もあったので聞いてみ
たが、田野畑村を過ぎるとしばらく宿はないという。で、なるべく遠い宿を探す羽目になった
のだが、運良く、最も遠い野田村に空室を見つける事ができた。本来の目的地まで約10キロ!
昨日に次ぐ今日の前倒し宿泊!まっ、これが旅と言うものだろう。
※道路脇で見かけた面白い植木にこころ和む。
DSCN5348.jpg
※津波はこの防波堤を破壊して野田村を襲った。手前は復旧した線路。
DSCN5359.jpg
※が、津波は野田村を襲った。瓦礫の山は今も残る。
DSCN5357.jpg

投宿した宿は海沿いにあった。そこで津波の際の写真を見せていただいたのだが驚いた!津波
は宿の目の前の橋を乗り越えて来たのだという。橋の向こう側(海側)は港になっているが、
そこに係留されていた船は全て流されてしまっていた。
※私の部屋から道路と橋を見る。津波はこの橋を越えたのだ。
DSCN5372.jpg
本日の走行距離 87.89キロ
走行時間 5時間7分
平均速度 17.1キロ(やはり三陸はきつい) 最高速度 55.0キロ(三陸ではこうなる)

さて、心配は明日以降である。台風の影響は現れつつあり、明日は午後から雨の可能性。
調べたところ、ここから南下する公共交通機関はない。さあ、どうなる、あらいぐま?