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  06 ,2013

団塊世代・あらいぐまの自転車日本一周挑戦記


プロフィール

あらいぐま

Author:あらいぐま
団塊あらいぐまの自転車日本一周挑戦記。ただ今、世界へも足を伸ばし中。

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Category: 中欧逍遙Mitteleuropa '13.5.23~

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5月26日 ドブロヴィツエ→クトナホラ→チャスラフ von Dobrovice über Kutna Hora bis Caslav
今日は特に見るべきものはなく、スメタナの生家があるリトミシュル(Liitomysl)へ向か
う移動日だ。
7:45 ペンションをスタートし、まず、ニンブルクNymburkという要塞都市へ向かう。
煉瓦で作られた壁が中心部を取り巻くように築かれている。石畳で走りにくい中心街を
抜け、案内所へ行くと、自転車に気づいた女性の係員がラーベ川沿いに自転車道があると
教えてくれ、親切に地図までくれた。カフェで軽い昼食を取りながら地図を眺めれば、今、
私はそのすぐ近くにいると分かった。そして、くちくなった胃袋に満足し、自転車道の人
となった。
※ニンブルクで見かけた楽しいベンチ。Eine frohliche Bank
DSCN7655.jpg
※ラーベ川自転車道。日曜日のせいか多くのサイクリストと行き交った。Labe Radweg
DSCN7661.jpg

日曜日とあってか、自転車道にはさまざまな人がいた。小さな女の子を4,5人含む一団
がいたので、リーダーらしき女性に「どこまで行くのか?」と尋ねたところ、約30キロ先
の町の名前を言った。勿論往復する訳ではないだろうが、こんな小さな子どもが30キロに
挑む…その心意気というか、チャレンジ精神に驚くとともに、それを許す両親に驚愕した。
彼らを追い越し、しばらく行ったところで休憩していると、反対方向からの一団と出会った。
彼らは私が目指すチャスラフCaslavからの一団だった。「どんな道ですか?」と訊く私に、
その中の唯一の女性が答えてくれた「間もなくひどいものよ。まるでマッサージ!」する
と男達が「あんたにはマッサージでも、俺たちには拷問さ」と言って笑った。私もつられ
て笑った。チャリダーだけが実感できる会話を、許されたし。
そして彼らの言うとおり、程なく舗装は消え、砂利道になった。まるでマッサージを思い
出し、これはたまらぬとばかり引き返し、一般道を走ることにした。面白い道路ではない。
それほど車が多くないのが救いだ。そしてコーリンKolinを経由し、世界遺産の町クトナホ
ラKutnaHoraに着いた。細い石畳の道がくねくねと続くこの町の中心街は味わいはあるが、
決して自転車に居心地のよい町ではない。そうそうに退散し、ガイドブックに紹介されてい
る寺院に向かった。骸骨堂という名のその寺院には90コロナを支払って入った。「覚悟を
して入れ」とガイドブックにあったので少なからず緊張して入堂したのだが、約4万個と
いう骸骨はオブジェと化し、怖れた雰囲気は皆無。どくろ状の装飾として鑑賞できた。た
だし、○国人のように、その前でピースサインをすることはできなかった。
※骸骨堂
DSCN7698.jpg
※内部。何と4万個の骸骨が使用されているという。
DSCN7691.jpg

16:45 本日の目的地チャスラフCaslav着。案内所は15分前に閉まっていた。仕方なく、
クトナホラの案内所で教えてもらったペンションを訪ねると留守。仕方なく通りがかった
母娘に「ペンションを知らないか?」と尋ねると、「大きなペンションがある」と教えて
くれた。しかし、そこを訪ねるとやはり閉まった後だった。そう、今日は日曜日だったのだ。
途方に暮れながら道端で少年サッカーを見物していた時、あるアイデアを思いついた。そう
だ、携帯電話を持っている人に、電話を借りるか、私の代わりに電話をしてもらおう!そ
してその野望の犠牲になったのが、バス停で携帯をいじっていた少女だった。「もちろん、
代金は払うので、私の代わりに電話をしていただけませんか?」片言の英語で頼むと、彼女
は意図を理解し、すぐに電話をしてくれた。そして、最初に訪ねた時に留守だったペンショ
ンに繋がった。部屋は確保できた。彼女に礼を言い、小銭を払おうとすると「結構よ!」と
笑いながら仲間のほうへ行ってしまった。強引に、持参の折り鶴をあげた。
中心街へ戻り、ペンションの隣のピッツアリアでピザを食べながらペンションオーナーの到
着を待つ。陽気なピザ屋の店員と話しているうちに待ち人到着。無事にチェックインし、ひ
と安心したところで悲劇は起こった。…階下のレストランでネットにアクセスしようと、こ
の旅のために購入したパソコンを持ってレストランのドアを開けようとした時、うっかりパ
ソコンを落としたのだ。パソコンは鈍い音を発して石畳に弾み、影響画面には亀裂が生じ、
スイッチは入るもののカーソルも動かない…ご臨終。悔しさがこみ上げるが、壊れたものは
仕方がない。保険を思いだし、傷心(大袈裟だな~)をおして状況写真を撮影した。そして
以降、ネットアクセスはスマホに限られることとなった。
※哀れ、PCは無用の長物となって帰国する羽目に。PC ging kaputt
DSCN7708.jpg

本日の走行距離 91.22キロ(累計走行距離 167.00キロ)
走行時間 6時間29分
平均速度 14.0キロ



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5月25日 プラハ→ヤブケニツエ→ドブロヴィツエ von Prag über Jabkenice bis Dobrovice
いよいよ走り始める。起床してまず窓の外を眺めるのが自転車旅行の際の習慣だ。
プラハでも当然そうしたのだが、残念ながら、昨晩の雨は残って、しとしとと降っ
ている。昨年もこんな天候の中を走ったな~と懐かしさが蘇る。が、嫌だな~と思
わなかったのは、やはり昨年の経験か?
7:00朝食。旅のためにりんごを2個、ポケットに入れて持ち出す。フランツは私の
ために1個持ちだしてくれる。りんごが3個。その心強さは経験者でなければ分か
るまい。
8:15、ホテルの精算を済ませ、フランツに見送られて出発。2日間で現地にも慣れ
たのか、道路を間違えることなく走る。しかも、しばらくの間は自転車専用レーン
が整備されていて、とても走りやすい。が、高速道路との連結箇所に来るとトンネ
ルをくぐったり、回り道を強いられたりと、ちょっぴりややこしくなる。お陰で、
310号線を行く予定が311号線になってしまった。が、それを修正する余裕も出て
きた。
※フランツに見送られて出発。mit Franz vor dem Hotel
DSCN7548.jpg
※この看板でプラハとお別れ。いよいよ本格的に旅が始まる。
DSCN7551.jpg

9:30雨が上がった。しかし、と思うあやにく、また降りだした。そうだ、こんな状
態の繰り返しだった。雨が上がっても安心しない。雨が振っても悲観しない。人生
修養なのだな、自転車は!
※途中、ラーベ川を渡る。この下流がエルベ川。
DSCN7564.jpg

12:15ストラッキーという町のレストランで昼食。雨にも祟られ、とにかく寒いの
で温かいものを求めてレストランにした。地元の客と思しき人々でほぼ一杯のレス
トラン。図々しく席を求め、ポテトとコーヒーが欲しいと注文するのだが、女主人
は英語もドイツ語も理解しないようだった。しかし、メニューも見ながら、これと
これで良いか?と言うふうに指で確認するので「OK!」を出すと、程なく持って
こられたのはポテトとチキンをスパイスの効いたソースに浸したもので、美味い!
今後のためにチェコ語のスペルを書き取っておいた。
※ポテトとチキン。そしてコーヒーで72コロナ(約350円)
DSCN7568.jpg

体も温まり、元気を取り戻して自転車を再開。ヤブケニーツエのベラさんが、車の
イベントがあって宿が取れないと言ってきたローチェンを通過する。どうやらクラ
シックカーのパレードがあるらしい。人々はツール・ド・フランスの選手を待つか
のように道端に座り込んでいる。あるコーナーを曲がりこんだら、そこには100人
ほどの地元民がクラシックカーの到着を今か今かと待っていた。私が見えるとがっ
かりしたかのような哄笑が起きた。私は自転車レースにゴールしたかに両手を挙げ、
投げキッスをして応えたら、大いに受けた。言葉は通じないのだが意思疎通ができ
た実感が楽しかった。
14:00スメタナ記念館到着。かってスメタナが住んだ家だが、博物館としても使用
できるほど大きい。ルーカス君という男性スタッフがドイツ語と英語を駆使して案
内してくれたが、汗をかかんばかりの熱意に好感を持った。
音楽的な資料はプラハの博物館にあり、ここにはスメタナが使用していたピアノ、
補聴器、デスク、家具、食器などが展示されている。面白かったのは、彼やその
家族は皆、絵の才能もあったようで、小さなメモ帳に小さな鉛筆で素敵な絵を残
していることだ。小さいまま展示されていたが、拡大して展示してもいいと思った。
ルーカス君の説明が始まるや否や、無音だった空間に彼の代表作「我が祖国」が流
れ始めた。女性スタッフの配慮なのだろう。あるいは恒例のことなのかも知れな
いがとても嬉しかった。
※道路に面したところにあるスメタナの像。Steinbild Smetanas
DSCN7589.jpg
※スメタナが愛用していたピアノ。Klavier, Smetana spielet
DSCN7613.jpg

そして、説明を聴いてフロントに戻ったわたしにサプライズが待っていた。役場
へ行って探そうと思っていたベラさんが待っていてくれたのである。ベラさんは
「ベラちゃん」ではなく、立派な中年女性だった。背が高く、キリッとして威厳
がある。はにかむような笑顔で、しっかりした発音の英語を喋った。
※博物館へ会いに来てくれたベラさん。私の到着を知らせるよう伝言していた。
本当に気の利く女性だった。Frau Vera wartete auf mich am Eingang des Museums
DSCN7634.jpg

彼女が自然保護区へ誘ってくれたので行ってみた。博物館からわずか200メートル
の距離だ。その面積は20平方キロメートル(と言ったと思う)。何と18世紀からの
施設だそうで、確かに樹木は立派なものが多かった。「ウサギやリスなど沢山の
動物もいるわ。たまに熊も出てくるわね」と嘘とも本当ともつかぬ話をしながら
歩いた。熊が出ては安心して歩けないが、素晴らしい施設だった。
※施設は大きすぎて1枚の写真では全貌を伝えられない…。Schutzwald
DSCN7635.jpg

ベラさんがコーヒーに誘ってくれたのであるパブへ行った。それは彼女の長男が
経営しているパブだった。あたたかなカプチーノはとても美味しかった。そこで
彼女が言うことはとても興味深かった「この村の人口は350人。しかし、15歳以下
の子供は12人しかいない。そのために学校は廃校になってしまった。将来はどう
なるのか?そして、今、高齢化のために定年は伸びつつある。今は65歳だけれど
私がその年齢に達するころには67歳になるだろう。その年代になって、どんな仕
事をするのか?一体、働けるのか?見当がつかない」抱える問題はどの国も同じ
のようだ。
一日の走行距離を抑えた結果、このようなゆっくりとした時間が持て、今回の計
画は正解だな…と考えながら、ベラさんに土産の扇子を差し出すととても喜んで
くれた。そして、改めて礼を言い、彼女が予約してくれたペンションへ向かった。
その10キロの間、天候はめまぐるしく変わった。雨が最も強くなった頃にペンシ
ョンい着いた。係りの女性はしかし外国語を理解せず、ベラさんの予約について
も「?」のままだ。ベラさんの電話番号を知らないので、迷惑と思ったが博物館
に電話し、ベラさんの電話番号を訊きだそうなどとやってみたが、博物館は4時
で閉まっていた。どうなるのか?不安がよぎり始めたころ、係りの女性が宿泊予
約のメモを発見した。予約はしてあったのだ!
部屋は簡素だが清潔だ。寒いので暖房が欲しいのだが、残念ながら機能していな
い。しかし、WiFiは無料で使用でき、こうしてブログも書いている。雨の合間を
縫って町に出かけ、ビールと食品を求め、一人、祝杯をあげたが、なぜか猛烈な
睡魔に襲われ、寝入ってしまった。自転車初日は無意識のうちに、終えた。
本日の走行距離 75.9キロ
走行時間 4時間39分
平均速度 16.3キロ

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5月24日 プラハを堪能!  Prag mit Franz!
気候、言葉、食事、右側通行という環境など、いろんな意味で現地に慣れるために
一日はプラハで過ごそうと考えていた。そこにフランツという友人が加わり、図ら
ずも素晴らしいプラハ観光の一日となった。
7:00起床。8:00朝食。簡素だが、野菜も果物もあり、コーヒーも美味い。
9:00連れだって外出。まずはプラハ城を観ようということで歩き出す。今日は金曜
日。あちこちで週末のイベントの準備らしき風景に出合う。ある公園では市がたち、
ある広場には屋外ステージが用意されていた。折から「プラハの春音楽祭」が開催
されているから、その一環かもしれない。賑やかな音楽が聞こえてきたと思ったら
タイの民族音楽と舞踊の一団だった。チェコ・タイ友好協会のようなプラカードを
掲げて楽しそうに歩いている。
※ユダヤの伝統音楽を演奏していたグループ。
DSCN7525.jpg
急ぐこともないのでぶらぶらとそぞろ歩いてカレル橋のたもとに出た。さすがにこ
こにはもう人々が出ている。全ての観光客が集散する場所と考えて間違いない。絵
を拡げる画家、髪飾りを並べる女性、ギターを弾く準備を始めている長髪の男…い
つもの風景が始まろうとしている。
橋のたもとに二人の女性ライダーがいた。自転車は4台あるから、二人はどこかへ
行っているのだろう。フランツが耳をそばだて、喋っているのはドイツ語と確認し
話しかけてみた。「お二人はどこを走っているのですか?」「いや、私たちは4人
よ。ほら、あれが仲間たち」楽しそうな表情は若く見積もっても50代!もっと上と
思しき女性らとの会話から、彼女らはミュンヘンから5日間かけてプラハにやって
きて、今日、電車で帰るのだそうだ。「ミュンヘンからは何キロくらいですか?」
「およそ450キロね。一日100キロくらいよ」「それは私と同じだ。私はこれから走
るんですよ」「彼は明日、ブダペストへ向けて出発するんだ。日本から来ているん
だよ」「お一人で?素敵だはね!」「いい旅を!」「お互いに!」そんなやり取り
で彼女らと別れたが、いよいよ走ることになるのだなと実感もできた。それにして
もヨーロッパでは女性サイクリストによく出遭う。
道に迷いつつプラハ城へ。やはりここにも沢山の観光客がいた。フランツは初めて
だと言うので、全ての教会の内部も見学。56メートルという塔にも登ってみたが、
ゴシック様式でたくさんの塔を持つ教会の建築を上から眺めるのは悪いものではな
い。黄金の小路では小さな店の2階が軍隊たちの施設になっており、そこには往時
の甲冑や武器、拷問器具などが展示されていた。
※プラハ城からモルダウを望む。大好きな構図だ。
DSCN7482.jpg
※プラハ城の衛兵とフランツ。
DSCN7465.jpg
※ステンドガラスはいつ見ても美しい。
DSCN7468.jpg
城から降りると昼時になっていた。何を食べようか?と店を探してぶらぶらと歩く。
そしてピッツアの文字にひかれて「ジョバンニ」という名前のイタリア料理店へ。
広い通りから少し引っ込んだこの店のピッツアは大きく柔らかく、ビールは美味し
く、「大正解だったね」とフランツと頷きあう。値段も一人200コロナ、約900円。
元気を回復してまた歩き出す。ヴァーツラフ広場でソ連軍に抗議して焼身自殺した
学生の記念碑に手を合わせ、ドボルザークの像と写真を撮り、スーパーでは明日か
ら使用する水を求め、歩き疲れてホテルに戻った。
※ピッツアは大きく、美味しかった。
DSCN7511.jpg
ホテルでは自転車を最終チェックし、荷物を整理し、ちょっと横になったら、スッ
と寝入ってしまった。約束の時間に遅れてしまったので、急いで1階へ降りたが、
彼がいない。あるいは…と彼の部屋のドアを叩くと、寝ぼけ眼のフランツがいた。
やはり寝入ってしまったらしい。60代後半の二人には過剰な散歩だったと笑った。
まだ明るい街に出る。クレメンティウムという有名な小ホールでオルガンとカルテ
ットのコンサートをやっていたので入る。およそ200席は満席。アベ・マリア、カ
ノン、ヴィバルディの「四季」全曲、そしてそしてスメタナの「モルダウ」などを
とても美しい、豊かな響きで演奏してくれ、感動した。ヴァイオリニストである
フランツもとても刺激をうけたようだ。
会場をでると小雨だった。が、足はカレル橋へ向かう。橋のたもとでモルダウを眺
めながらじっと座っているスメタナに会いに行こうと決めていたからだ。昨年に続
く再会。城を背景に、カレル橋をここから眺めるのが好きだ。
※スメタナと記念撮影。「また会えたね」「よく来てくれた」と彼は言った(と思う)。
DSCN7535.jpg
夕食はスメタナホールの地下のレストランでと思ったが満席だった。どの店も多く
の客で賑わっている。きっと金曜日は外食をする日なのだろう。何軒かで断られ、
ホテルの向かいのレストランに行くと「カウンターで5分待ってくれたら、別の席
ができるわ」というのでそうしたが、これも正解。店内の2階バルコニーにはバン
ドが陣取り、ドイツのビヤソングのような軽快な音楽を演奏している。そしてこの
店の売りは50種類のビール!だった。と言われても名前を知らないので指名したの
はチェコの代表銘柄ピルスナー・ウアクエレ!これを頼んでおけば間違いないし、
いろんな銘柄には明日から嫌でも遭える。偶然、私はチキンを、彼はダックを注文
し、よく冷えたビールをお代わりし、9:00ホテルに戻る。明日は7時に朝食をとり、
8時には出発をすると決めた。明日夕方のバスで帰るフランツは写真を撮って見送っ
てくれるという。
部屋に戻り、最終パッキング。まずはちょっと眠ろうとベッドインし、3時過ぎに
起きだしてこのブログを書いている。日本への連絡がちょっと遅れたが、酔眼では
ままにならないので勘弁してもらおう。





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5月23日 トラブル超えて、プラハ着。 In Prag trotz der Schwierigkeit
いよいよ出発の日がやってきた。午前5時、起床。しっかりと朝食を取り、一番のバスで
西川口駅へ。やってきた京浜東北線に乗り、日暮里で京成線特急に乗り換える。座席も確
保でき、さわやかな朝の景色を眺めながら走る。8:25、成田第二ターミナル着。自転車と
大きな荷物は送ってあるので実に楽だ。マイカーで来ることが多かったが、この身軽さは
魅力だ。しかも安い!
電車は地下ホームに着くのでエレベータで3階へ移動。そしてJALABCを探す。ここに
自転車を送ってあるのだ。控え券を提示すればすぐに自転車は出てくる。荷姿も問題ない。
さて、フィンランド航空のカウンターはどこに?
カートを押してDカウンターを目指す。するとそこにはなにやら緊張感が漂っている。何事
か?と近づいてみると、あるツアーの添乗員が大きな声で参加者に説明していた。「乗る予
定の飛行機は整備の遅れで出発が3時間遅れます。このまま行くとサグラダファミリアに入
場できません。予約制だからです。それでは嫌だという方は、ここでツアーをキャンセルし
てください。チェックインしてからのキャンセルはできません」そうか、この団体はヘルシ
ンキで乗り換えてバルセロナへ行くのか。状況は私も同じだ。3時間遅れてヘルシンキに
着いたとして、その後はどうなるのだろう?順調だった旅の初日に、いきなりやってきた
トラブル!驚いたことに団体からはキャンセルする人が出てくる。聖家族教会の入場観光
はそれほど重要なのか?その後のツアーをキャンセルして惜しくないのか?そんな人々を
見ながら私は「落ち着け、おちつけ!」と自分に言い聞かせる。この遅れの責任は航空会
社にある。まずは対応方法を聴こうじゃないか。
30分ほど並んで私の順番がやってきた。「今日中にはプラハに着きたいが、可能だろうか?」
こう切り出すとカウンターの若い女性は「少々お待ちください」と時刻表をチェックし、
「無理です。ヘルシンキで乗継便はありません。ルフトハンザに振替が可能です」と言っ
てまたPC画面に見入り、「ミュンヘンで乗り換えてプラハには20:10に着きますがいか
がなさいましょう?」と言う。私に文句のあるがはずはない。「お客さま、ルフトハンザ
は空港第一ターミナル南ウイングになります。大変申し訳ないのですが荷物を持ってそち
らへ移動していただきたいのです」申し訳なさそうに彼女はそう言うと、カウンターから
出てきて深く一礼した。責任は航空会社にあるとは言え、この対応で私はフィンランド航
空がまた好きになった。そして指示された通りに新たな航空会社のカウンターへ行くとま
たサプライズが待っていた。
空港第二ターミナルから第一ターミナルに移動するにはまずエレベータで1階へ降り、そ
こからふたつのターミナルを連絡する無料バスに乗り、南ウイングの4階までまたエレベ
ータで上がらねばならない。出発時刻は12:40だから時間的に余裕はあるとは言え、面倒
なことではある。ついてないな~。先が思いやられるな~・・・そんな気持ちもふと過ぎる。
そして、先のカウンターでもらった簡単なメモだけを頼りに新しいカウンターへ行くと、
そこの女性スタッフは慣れた手つきでメモを読み、「分りました。すぐに座席を確保しま
す。窓際がよいですか?通路側がよいですか?お預けになる荷物はどれですか?あっ、
自転車もありますね」と落ちつきはらった対応。私の不安はすっと溶けて消えていった。
しかも、自転車のサイズを測った彼女(実際は男性スタッフが測ったが)は言う。このサ
イズですと別料金は不要です。・・・と言うことは何と、100ユーロが浮いてしまったのだ!
※フィンランド航空の予定がルフトハンザに変わった。航空会社は好きなのだが…。
DSCN7417.jpg

プラハ到着は遅くなる。友人を待たせることになる。連絡がつけられか不安だ。しかし、
100ユーロは確かに浮いた。これは不運なのか、幸運なのか?まっ、その結論は今夜出る。
そう腹をくくって搭乗までの長い時間をぶらぶら、だらだらと過ごした。
実は3月にイタリアへ行ったが、その際に利用したのがルフトハンザだった。往路はフラ
ンクフルト乗り換えだったが、帰路はミュンヘン乗り換えだった。つまり、前回の旅でE
Uを出国したのがミュンヘンだったのだが、今日、そこからヨーロッパに足を踏み入れる
ことになったのだ。これも何かの縁か?
しかし喜んでばかりはいられない。私がフィンランド航空を選ぶ理由はそのフライト時間
の短さにある。成田を出てヘルシンキまでは約8時間。窮屈なシートで小さくなっている
時間のことだ。ミュンヘンまで飛ぶとそれが11時間15分になる。この3時間の避けたはず
の苦痛。それを今回、図らずも味あわなくてはならなくなったのだ。やはり、不運か?
今、日本時間午後9時5分。成田を出発して8時間半が経った(この文章はミュンヘンへ向
かう機中で書いている)。ヘルシンキならば到着している時刻だがミュンヘンまではあと
3時間24分と目の前のモニターが表示している。間もなく夕食が配られるはずだ。機内の
最大の楽しみだけを楽しみに、あと3時間余を過ごそう。
忘れてはいけない。機内の楽しみがもうひとつある。映画だ。今日は「カルテット」を観た。
川口で上映していないのでまだ観られなかったのだが、思わぬところで希望が叶った。映
画には身をつまされ、そして感動した。CDでは「ドボルザークの第9番」、「レ・ミゼ
ラブル」と「サウンド・オブ・ミュージック」を聴いた。11時間も悪くはない…かも知れ
ない。
17:45ミュンヘン着。思い切り体を伸ばす。ここでECへの入国手続き。やはりちょっと緊
張する瞬間だ。無事通過。スタンプは前回出国した時と同じページに押されていた。そして
国際線乗継ターミナルに移動。1時間半はあったのでネット接続を試みるもNG。空港のサー
ビスセンターで確認したところ、ドイツ国内で使用できる携帯電話がないと利用できないと
分かった。国際空港なのにそれで良いのか?ドイツテレコムよ!
※ミュンヘン空港近くでは菜の花が最盛期だった。
DSCN7423.jpg
19:30ミュンヘン発。19:15発と聴いていたのでこれは遅れるな~と考えていたが、なんと、
ミュンヘン→プラハ間の飛行時間は30分!予定通り20:10にはプラハに着いた。自転車は大
事そうに別のカートに乗せられて出てきた。ひとまずホッとした。
タクシーを探し、ホテル名を告げる。プラハ市内には3つのIbisホテルがあると聴いていた
ので、「オールドタウン!」と念を押すと、安心しろと言うように「いや、4つあるよ」だと!
ドイツ語を解するドライバーとの20キロは楽しかった。「ブダペストまで一人、自転車の旅
だ」と言うと、あきれたような顔をされたが、別れ際に「よい旅を!」と言われて、旅の始ま
りを実感した。
ホテルにチェックインし、早めに到着していた友人フランツと1年振りの再会。チェコの伝
統料理ともいうべきグラーシュ(牛肉の煮込み)とビールは美味かった。12時ころに帰館。
明日の朝食時間を決めて別れた。長い一日だったが、こうして中欧逍遥の初日が始まった。
※フランツは夕食を取らずに待っていてくれた。グラーシュにはこれから何度もお世話になるだろう。
DSCN7426.jpg

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中欧逍遙を再構成します。
2度目のヨーロッパの旅に出掛けたのは5月23日のことだった。楽しい16日間を過ごして
6月7日に帰国。あれからもう1カ月以上が経った。4日目に持参のPCを壊し、ブログ
はスマホで書かねばならない羽目に陥った。これには苦戦した。デジカメの写真を取り込
めないので、スマホで撮影しなければならず、また、文字変換に手間取り、思うように文章
が書けないもどかしさ!なんとか自分撮りにも、入力にも慣れて来た頃はもう帰国の寸前だ
った。
そんな短く、拙いブログだったが、沢山の方に読んでいただき、応援のメッセージをもらい、
とても嬉しかった。決して冒険をしている訳ではないのだが、雨、寒さ、洪水・・・に悩ま
されているのではないかと気遣ってくれているのがよく分かった。ありがたかった。
帰国してすぐにブログの再構成を思ったのだが、娘の結婚式、合唱団のコンサート、仕事、
出張・・・などが続き、ここにきてやっと落ち着いてきたので、再構成に手を着けようと
思う。今回の旅では常に手帳を胸のポケットに入れておき、こまめなメモを心がけたので
なんとか記憶を甦らせると思う。
再構成は5月23日からになります。どうぞお付き合いのほどを!