06 ,2013
今日は特に見るべきものはなく、スメタナの生家があるリトミシュル(Liitomysl)へ向か
う移動日だ。
7:45 ペンションをスタートし、まず、ニンブルクNymburkという要塞都市へ向かう。
煉瓦で作られた壁が中心部を取り巻くように築かれている。石畳で走りにくい中心街を
抜け、案内所へ行くと、自転車に気づいた女性の係員がラーベ川沿いに自転車道があると
教えてくれ、親切に地図までくれた。カフェで軽い昼食を取りながら地図を眺めれば、今、
私はそのすぐ近くにいると分かった。そして、くちくなった胃袋に満足し、自転車道の人
となった。
※ニンブルクで見かけた楽しいベンチ。Eine frohliche Bank

※ラーベ川自転車道。日曜日のせいか多くのサイクリストと行き交った。Labe Radweg

日曜日とあってか、自転車道にはさまざまな人がいた。小さな女の子を4,5人含む一団
がいたので、リーダーらしき女性に「どこまで行くのか?」と尋ねたところ、約30キロ先
の町の名前を言った。勿論往復する訳ではないだろうが、こんな小さな子どもが30キロに
挑む…その心意気というか、チャレンジ精神に驚くとともに、それを許す両親に驚愕した。
彼らを追い越し、しばらく行ったところで休憩していると、反対方向からの一団と出会った。
彼らは私が目指すチャスラフCaslavからの一団だった。「どんな道ですか?」と訊く私に、
その中の唯一の女性が答えてくれた「間もなくひどいものよ。まるでマッサージ!」する
と男達が「あんたにはマッサージでも、俺たちには拷問さ」と言って笑った。私もつられ
て笑った。チャリダーだけが実感できる会話を、許されたし。
そして彼らの言うとおり、程なく舗装は消え、砂利道になった。まるでマッサージを思い
出し、これはたまらぬとばかり引き返し、一般道を走ることにした。面白い道路ではない。
それほど車が多くないのが救いだ。そしてコーリンKolinを経由し、世界遺産の町クトナホ
ラKutnaHoraに着いた。細い石畳の道がくねくねと続くこの町の中心街は味わいはあるが、
決して自転車に居心地のよい町ではない。そうそうに退散し、ガイドブックに紹介されてい
る寺院に向かった。骸骨堂という名のその寺院には90コロナを支払って入った。「覚悟を
して入れ」とガイドブックにあったので少なからず緊張して入堂したのだが、約4万個と
いう骸骨はオブジェと化し、怖れた雰囲気は皆無。どくろ状の装飾として鑑賞できた。た
だし、○国人のように、その前でピースサインをすることはできなかった。
※骸骨堂

※内部。何と4万個の骸骨が使用されているという。

16:45 本日の目的地チャスラフCaslav着。案内所は15分前に閉まっていた。仕方なく、
クトナホラの案内所で教えてもらったペンションを訪ねると留守。仕方なく通りがかった
母娘に「ペンションを知らないか?」と尋ねると、「大きなペンションがある」と教えて
くれた。しかし、そこを訪ねるとやはり閉まった後だった。そう、今日は日曜日だったのだ。
途方に暮れながら道端で少年サッカーを見物していた時、あるアイデアを思いついた。そう
だ、携帯電話を持っている人に、電話を借りるか、私の代わりに電話をしてもらおう!そ
してその野望の犠牲になったのが、バス停で携帯をいじっていた少女だった。「もちろん、
代金は払うので、私の代わりに電話をしていただけませんか?」片言の英語で頼むと、彼女
は意図を理解し、すぐに電話をしてくれた。そして、最初に訪ねた時に留守だったペンショ
ンに繋がった。部屋は確保できた。彼女に礼を言い、小銭を払おうとすると「結構よ!」と
笑いながら仲間のほうへ行ってしまった。強引に、持参の折り鶴をあげた。
中心街へ戻り、ペンションの隣のピッツアリアでピザを食べながらペンションオーナーの到
着を待つ。陽気なピザ屋の店員と話しているうちに待ち人到着。無事にチェックインし、ひ
と安心したところで悲劇は起こった。…階下のレストランでネットにアクセスしようと、こ
の旅のために購入したパソコンを持ってレストランのドアを開けようとした時、うっかりパ
ソコンを落としたのだ。パソコンは鈍い音を発して石畳に弾み、影響画面には亀裂が生じ、
スイッチは入るもののカーソルも動かない…ご臨終。悔しさがこみ上げるが、壊れたものは
仕方がない。保険を思いだし、傷心(大袈裟だな~)をおして状況写真を撮影した。そして
以降、ネットアクセスはスマホに限られることとなった。
※哀れ、PCは無用の長物となって帰国する羽目に。PC ging kaputt

本日の走行距離 91.22キロ(累計走行距離 167.00キロ)
走行時間 6時間29分
平均速度 14.0キロ
う移動日だ。
7:45 ペンションをスタートし、まず、ニンブルクNymburkという要塞都市へ向かう。
煉瓦で作られた壁が中心部を取り巻くように築かれている。石畳で走りにくい中心街を
抜け、案内所へ行くと、自転車に気づいた女性の係員がラーベ川沿いに自転車道があると
教えてくれ、親切に地図までくれた。カフェで軽い昼食を取りながら地図を眺めれば、今、
私はそのすぐ近くにいると分かった。そして、くちくなった胃袋に満足し、自転車道の人
となった。
※ニンブルクで見かけた楽しいベンチ。Eine frohliche Bank

※ラーベ川自転車道。日曜日のせいか多くのサイクリストと行き交った。Labe Radweg

日曜日とあってか、自転車道にはさまざまな人がいた。小さな女の子を4,5人含む一団
がいたので、リーダーらしき女性に「どこまで行くのか?」と尋ねたところ、約30キロ先
の町の名前を言った。勿論往復する訳ではないだろうが、こんな小さな子どもが30キロに
挑む…その心意気というか、チャレンジ精神に驚くとともに、それを許す両親に驚愕した。
彼らを追い越し、しばらく行ったところで休憩していると、反対方向からの一団と出会った。
彼らは私が目指すチャスラフCaslavからの一団だった。「どんな道ですか?」と訊く私に、
その中の唯一の女性が答えてくれた「間もなくひどいものよ。まるでマッサージ!」する
と男達が「あんたにはマッサージでも、俺たちには拷問さ」と言って笑った。私もつられ
て笑った。チャリダーだけが実感できる会話を、許されたし。
そして彼らの言うとおり、程なく舗装は消え、砂利道になった。まるでマッサージを思い
出し、これはたまらぬとばかり引き返し、一般道を走ることにした。面白い道路ではない。
それほど車が多くないのが救いだ。そしてコーリンKolinを経由し、世界遺産の町クトナホ
ラKutnaHoraに着いた。細い石畳の道がくねくねと続くこの町の中心街は味わいはあるが、
決して自転車に居心地のよい町ではない。そうそうに退散し、ガイドブックに紹介されてい
る寺院に向かった。骸骨堂という名のその寺院には90コロナを支払って入った。「覚悟を
して入れ」とガイドブックにあったので少なからず緊張して入堂したのだが、約4万個と
いう骸骨はオブジェと化し、怖れた雰囲気は皆無。どくろ状の装飾として鑑賞できた。た
だし、○国人のように、その前でピースサインをすることはできなかった。
※骸骨堂

※内部。何と4万個の骸骨が使用されているという。

16:45 本日の目的地チャスラフCaslav着。案内所は15分前に閉まっていた。仕方なく、
クトナホラの案内所で教えてもらったペンションを訪ねると留守。仕方なく通りがかった
母娘に「ペンションを知らないか?」と尋ねると、「大きなペンションがある」と教えて
くれた。しかし、そこを訪ねるとやはり閉まった後だった。そう、今日は日曜日だったのだ。
途方に暮れながら道端で少年サッカーを見物していた時、あるアイデアを思いついた。そう
だ、携帯電話を持っている人に、電話を借りるか、私の代わりに電話をしてもらおう!そ
してその野望の犠牲になったのが、バス停で携帯をいじっていた少女だった。「もちろん、
代金は払うので、私の代わりに電話をしていただけませんか?」片言の英語で頼むと、彼女
は意図を理解し、すぐに電話をしてくれた。そして、最初に訪ねた時に留守だったペンショ
ンに繋がった。部屋は確保できた。彼女に礼を言い、小銭を払おうとすると「結構よ!」と
笑いながら仲間のほうへ行ってしまった。強引に、持参の折り鶴をあげた。
中心街へ戻り、ペンションの隣のピッツアリアでピザを食べながらペンションオーナーの到
着を待つ。陽気なピザ屋の店員と話しているうちに待ち人到着。無事にチェックインし、ひ
と安心したところで悲劇は起こった。…階下のレストランでネットにアクセスしようと、こ
の旅のために購入したパソコンを持ってレストランのドアを開けようとした時、うっかりパ
ソコンを落としたのだ。パソコンは鈍い音を発して石畳に弾み、影響画面には亀裂が生じ、
スイッチは入るもののカーソルも動かない…ご臨終。悔しさがこみ上げるが、壊れたものは
仕方がない。保険を思いだし、傷心(大袈裟だな~)をおして状況写真を撮影した。そして
以降、ネットアクセスはスマホに限られることとなった。
※哀れ、PCは無用の長物となって帰国する羽目に。PC ging kaputt

本日の走行距離 91.22キロ(累計走行距離 167.00キロ)
走行時間 6時間29分
平均速度 14.0キロ